私は学生当時、将来を見据えた女性の仕事の道具として、「英語」を選びました。とにかく英語を使った仕事に就きたかったし、大学で英米文学の勉強をしたかったです。やればやるほど面白い語学は、「魔法の杖」でした。
道具としての語学の選択に英語にするか国文学にするか、ずいぶん迷ったのも事実です。本が好きで何時間も本と一緒にいたかったです。し~んと静まり返った図書室のあの空気感がたまらなく好きで、住んでもいいと思っていました。
大学で英米文学の勉強が経済的な理由からできなくなった時、英語を使って仕事をしたいと考え偶然見つけた「総合商社」の仕事に、即座に反応しました。総合商社がどういう所かなんてどうでもよく、英語を使って仕事ができればそれで良かっただけです。適正か不適正かなんて入って何年も経ってから考えました。
巨大な商社という未知の世界は楽しくて楽しくて仕方がなく、覚える事が山ほどあってもなんてことなかったです。忙しくて休めなくても、胃が痛くてお医者さんにも行けず、ダウン寸前まで気が付かず夢中で仕事をしました。
会社の商社を退職した後も、海外で仕事をすることばかり考えていました。チャンスが来た時にはもう絶対に行くつもりで覚悟を決めていました。しかし残念ながら、親がどうしても許してくれませんでした。女性が1人で海外で仕事をするなんて考えられないと言うのです。治安のよい大きい都市の中での仕事だったのに、私にすれば行かせてもらえない反対される理由がどうしても理解できませんでした。
今は女性でも海外で仕事をする人は結構いますし、私の幼なじみの女の子も私が海外へいけなかった後すぐに、同じ地へ仕事で行ってしまいました。
英語とフランス語とドイツ語と北京語を勉強しました。その内自分のものになったのは英語くらいです。フランス語も北京語も発音で口と舌が思うように動かず断念しました。
翻訳の仕事をしょうと学校で勉強もしましたし、通信教育で1年勉強もしました。その勉強のおかげで英語の薄いペーパーバックくらいなら読めるようになりました。
結果として語学は自分の趣味とするしかないこと、生活で使う程度にとどめるべきというのが私の結論です。好きなことをしてお金をもらって英語で仕事をするという難しさは、もっと若い時期にどんどん海外へ出て行って失敗をして、自分と闘わなくてはできないことだと感じました。
好きを生涯の仕事にするのは、そう簡単なことではないのでしょうね。